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広島カープ歴代4番打者の歴史や成績!年間本塁打数トップは誰?

[公開日]2015/09/23
[更新日]2016/06/19
カープ歴代4番打者本塁打・打点はカープでの最高成績
年代
名前
本塁打
打点
1950-1951 辻井弘 5 67
1952 大沢清 6 52
1953-1957 小鶴誠 18 74
1958-1961 藤井弘 20 80
1960 大和田明 23 79
1962-1965 興津立雄 21 93
1966-1970 山本一義 21 70
1971-1972 衣笠祥雄 32 102
1973 ヒックス 17 49
1974-1986 山本浩二 44 113
1987-1990 小早川毅彦 24 93
1991 西田真二 13 51
1992 ブラウン 27 83
1993-1999 江藤智 39 106
2000-2002 金本知憲 34 94
2003-2004 シーツ 25 85
2005 ラロッカ 40 101
2006-2007 新井貴浩 43 102
2008-2011 栗原健太 25 103
2012.2014 エルドレッド 37 104
2013 キラ 14 45
2015 エルドレッド 37 104
小言
4番打者を打った選手はもっといますが、活躍度合いやシーズン成績で選出しています。こうして一覧で見ると強い時期は4番が長く固定され活躍していることが分かりますね。

広島カープ歴代4番打者

広島カープ初代4番バッターかは定かではありませんが、カープ創設時に辻井弘が4番バッターを務めていました。
カープの初代主将を任された辻井弘。記録では創設年度の1950から1951年の2年間だけですが弱小打線を牽引しています。
ホームランバッターというよりは打って走るタイプのようです。(過去の記録から推測)

辻井弘が国鉄スワローズ(現ヤクルトスワローズ)に移籍し、1952年は大沢清(カープでの登録名は大沢薫史)が打線を牽引。
大沢清の弟が大沢親分で親しまれた大沢啓二。タレントの大沢あかねは又姪(まためい)にあたります。

大沢清は1954年で引退しましたが、1953年に入団した小鶴誠が4番で活躍しています。

小鶴誠はカープに入団する前から長く活躍している人気の選手でした。
身長176㎝と小柄な体型でしたが『ゴルフスイング』という独自の打撃方法でパワーも兼ね備えていました。
カープでの最高本塁打数は18本ですが松竹ロビンス(消滅球団)時代には年間51本塁打を放っています。

1958年頃から藤井弘が4番を任されることが多くなります。
1967年まで出場試合数100を切ったことが無く(引退は1969年)中軸打者として長く活躍しています。
また、1961年にカープで初めて逆転サヨナラホームランを放った打者で、通算サヨナラ安打数も12でカープの記録保持者です。(日本最多は20安打の清原和博)

藤井弘と共に60年代初めから後半にかけて4番など中軸を任されたのが大和田明興津立雄山本一義でした。

大和田明は入団した1958年から1967年に退団するまでカープの中軸打者として活躍。
小鶴誠や藤井弘の代わりに4番打者を任されるなど打撃でチームを引っ張っています。

興津立雄も大和田明と同じ時期に活躍した中軸打者です。
シーズン最多本塁打は21本で、1963年には打点93でチャンスでの強さもありました。

その後に4番を任されたのが山本一義です。
打者としても長くカープを支え、晩年には主将として1975年球団の初優勝を経験しています(同年引退)
選手としても一流ですが、指導者としても多くの選手を育て、元カープの金本知憲は恩人と自身の著書に書いています。
また、カープの山本と言えば山本浩二ですが、その山本浩二は山本一義に憧れて同じ大学に進学したそうです。

山本一義から衣笠祥雄山本浩二にカープの主軸打線が変わっていきます。

衣笠祥雄も4番を打っていますが個人的に5番のイメージが強いです。
やっぱり4番は山本浩二が似合います!!

衣笠祥雄と山本浩二のコンビはとても有名でよくあるアベックホームラン(一試合にチームで2人が本塁打)数も86本に上ります。
1984年の優勝したシーズンで両者とも30本塁打を超えていて優勝にと日本一に大きく貢献しています。
山本浩二は助っ人外国人を含めてもシーズン44本塁打は球団記録です。本塁打王も4度獲得しています。
衣笠祥雄も鉄人のイメージが先行していますが通算本塁打504本で、本塁打王などタイトルは獲得していませんが長打力は山本浩二に負けてません。

鉄人とミスター赤ヘルが築き上げた(他の選手の活躍もあっての)黄金時代の功績が認められ、当時2人が背負っていた背番号『3番』『8番』永久欠番になっていますね。

同年代の助っ人ヒックスもぼちぼちホームランを放ってますね(17本)

衣笠と山本の引退で2人と同じく中軸を任されていた小早川毅彦が4番を受け継ぎます。
4番を任された数年間は活躍していますが1990年代に突入すると若手の台頭などにより出場機会も減り始めます。

1990年は表には載せていませんがロッド・アレンが活躍し、翌年1991年は同選手の不振もあり西田真二が4番に定着しリーグ優勝に貢献。
92年にはブラウンが助っ人らしく本塁打を量産(27本)し活躍していますね。

そして、1993年頃から江藤智が4番に定着していきます。
シーズン最多39本塁打を放つなど本塁打王を2回獲得し高打率を残すなど4番として長く活躍しました。

2000年に巨人に移籍し江藤の代わりに4番を任される事もあった金本知憲がそのまま4番を継承します。
と言っても本命は前田智徳で金本知憲は5番打者でした。しかし前田智徳の足のケガの調子が悪く手術で戦列を離れたため金本が4番を任されます。
2002年まで4番を任され30本に迫る本塁打数と高い打率で期待に応えています。
2003年に阪神に移籍。

シーツラロッカなどの助っ人が4番を任されていた2003年~2005年も過ぎ、2006年頃から新井貴浩が4番で活躍するようになります。
しかし、金本知憲やシーツに続き2008年に阪神に移籍。

その後に4番を任されたのが栗原健太
打率も3割近くまで上がり、本塁打数も20本を前後とまずまずの活躍をしています。
4番を任されて迎えた初のシーズンで打率.332で23本塁打。今後のさらなる活躍が期待されましたが、このシーズンを超える成績はそれから残せていません。

2012年からエルドレッドキラ(2013年入団)が4番を任されます。

2015年はエルドレッドを正規の4番に表では載せていますが、阪神から復帰した新井貴浩も4番として出場していますね。

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