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広島カープ歴代監督の歴史!球団史上最高の監督はあの人しかいない!

[公開日]2015/09/27
[更新日]2017/01/01
広島カープ歴代監督
年代
名前
最高順位
1950-1953 石本秀一 4位
1953-1960 白石勝巳 4位
1961-1962 門前眞佐人 5位
1963-1965 白石勝巳(2期) 4位
1965-1967 長谷川良平 4位
1968-1972 根本陸夫 3位
1972/6.30- 森永勝也(代行) 最下位
1973 別当薫 最下位
1974 森永勝也 最下位
1975/4.30まで
1975/5.3まで
ジョー・ルーツ
野崎泰一(代行)
解任
1975-1985 古葉竹識 日本一
1986-1988 阿南準郎 1位
1989-1993 山本浩二 1位
1994-1998 三村敏之 2位
1999-2000 達川晃豊(光男) 5位
2001-2005 山本浩二(2期) 4位
2006-2009
2008/8.19-21
ブラウン
リブジー(代行)
4位
2010-2014
2011/6.28-29
野村謙二郎
高信二(代行)
3位
2015-現在 緒方孝市 1位
小言
初優勝の1975年から最後の優勝1991年の間が異常に強いことが一覧から分かりますね。低迷期は3年~4年で監督が代わっているので選手も大変だなという印象です。長期政権は成績が伴わないと難しいようです。

カープ歴代監督の歴史と成績

広島カープ初代監督は石本秀一です。

1950年の球団設立当時に石本秀一から監督を願い出ての就任となりました。
広島出身で広商の監督を務めた過去から考えると適任だったのだと思います。

球団設立当時は選手の確保もままならない状態でしたが、数多くの球団で監督をしていた石本の人脈で選手を集めています。
2代目監督に就任する白石勝巳もこの時に入団しました。

石本は1950年~53年まで監督を請け負いましたが、監督業のほとんどを白石勝巳に任せ球団の財政面を補うためや選手の確保などカープ存続のために奔走していました。
1953年には球界の人気選手、小鶴誠や金山次郎の獲得に成功しています。

監督在任中の最高順位は4位

石本の監督退任で1953年から選手兼任監督として白石勝巳が2代目監督を就任。
球団設立時から監督のような立場でチームの指揮を取ることはもちろん、監督業以外にも広島市民球場の建設に関わったり、財政面のサポートや選手の補強など多岐にわたり関わっています。
1957年から監督に専念し、1960年に対巨人勝ち越しを決め、シーズン勝率も5割を達成したこともあって同年に監督退任。

監督在任中の最高順位は4位

1961年から1956年に助監督を兼任していた門前眞佐人(もんぜんまさと)が3代目監督に就任します。
石本や白石と同様、広島出身で現役時代は捕手として39歳まで現役を続けました。

1961年と62年のいずれのシーズンも勝率が5割を割ったため監督を退任。

監督在任中の最高順位は5位

門前の退任で次期監督の白羽の矢が立ったのが1953年に初代監督の石本が広島に連れてきた小鶴誠でしたが、球団役員の意見が割れ最終的には前任の白石勝巳が4代目監督(2期目)を任されました。

王シフトなどの奇策を考案したり、1965年には球団初の単独首位に立つなど話題を作りましたが2期目の監督在任中も最高順位は4位でした。

1965年途中から長谷川良平が5代目監督を就任。
カープの初代エースとして活躍した長谷川良平は引退後から投手コーチを務め、その後に監督就任しました。

これまでの監督と違い、補強には頼らず現在の戦力を上げてチームを強化する方針を掲げましたが、監督在任中の最高順位は4位にとどまっています。
元投手の監督らしく安仁屋宗八や外木場義郎の若手投手を育成しました。

1968年から6代目監督に根本陸夫が就任。
選手時代は近鉄のみでプレーしていましたが1968年のカープ経営体制変更に伴い、チームの基礎を再び築き上げるため根本陸夫が招集されました。同年『広島カープ』から『広島東洋カープ』に名称が変更されています。

根本陸夫が指導育成した球団は数年後に黄金期を迎えていて、球団の基礎づくりにおいては右に出るものはいないかもしれません。
カープ在任中は球団初のAクラスとなる3位に入るなど節目の年になっています。
猛練習や食事管理など徹底的に選手を育成した結果でしたが、その後は再びBクラスが続くことになります・・・

1972年途中で根本陸夫が退任したため打撃コーチの森永勝也が監督代行として残りのシーズン指揮を取りますが最下位に沈んでいます。

1973年に別当薫を監督に迎え7代目監督として指揮を取りますが、後半戦でチームは調子を落とし最下位に終わります。

1974年から監督代行も務めた森永勝也が2軍監督を経て8代目監督に就任。
自身の後任監督となるジョー・ルーツを打撃コーチに招聘するなど打開策を講じましたが最下位でシーズンを終えています。

1975年にはジョー・ルーツが監督に就任9代目監督となります。
わずか15試合での退団となりますが、広島カープに残したものはたくさんありました。

まずチームカラーを『赤』に定着させ、『赤ヘル』誕生の年となります。
選手の補強はもちろん選手のポジション変更なども行い、当時一塁手だった衣笠祥雄を三塁手へとコンバートしたのジョー・ルーツでした。
高橋慶彦をスイッチヒッターへ転向させるなど、後のカープでスイッチヒッターがたくさん育つ要因にもなっています。
その他に、現在では普通に行われている投手のローテーションや、進塁打などチームバッティングへの高評価査定もジョー・ルーツ発祥とされています。

アメリカとの野球の違いで試合中も審判ともめ、球団とも信頼関係が築けず開幕から15試合で退団しました。

ジョー・ルーツの退団で野崎泰一監督代行を経て古葉竹識が10代目監督に就任。

1975年はカープ初優勝した年でもあり、黄金期に突入した年でもあります。

黄金期を迎えたカープを11年間指揮し、リーグ優勝4回日本一3回を達成。
現在でもカープで日本一を経験した唯一の監督です。

古葉監督の現役時代のように機動力を生かした野球と山本浩二や衣笠祥雄の強打もかみ合い、在任11年のうち9回はAクラスでBクラスも2回だけで最下位はありませんでした。

1985年シーズンを最後に監督を勇退した古葉監督の後を阿南準郎(あなんじゅんろう)が受け継ぎ11代目監督に就任。

1986年から指揮を取り、現役選手の山本浩二が監督に就任するまでの繋ぎとして選ばれたそうですが、就任1年目からリーグ優勝を達成しています。(同年山本浩二引退)
黄金期をコーチとして支えてきた経験から監督としての手腕も発揮し、在任3年間Aクラス入りしました。
もちろん古葉監督の築き上げたチーム力もあってのことだと思いますが結果は残しています。

その後、当初の噂通り後任に山本浩二が選ばれ1988年からに12代目監督に就任。

就任当初こそ高順位でシーズンを終えますが就任5年目の1993年には1974年以来19年ぶりに最下位に沈み、責任を取って監督を退任しています。

  • 1989年 2位
  • 1990年 2位
  • 1991年 1位
  • 1992年 4位
  • 1993年 6位

1991年優勝したメンバーと1993年最下位に沈んだメンバーを見ても大きな変化もなく、違いと言えば優勝した年は西田真二が4番定着し活躍したということくらいだと思います。
黄金期もそうですが4番打者の固定と活躍は優勝するのに必要なことかもしれません。

と言っても1993年の最下位メンバーも好成績を残していますけどね!
少し抜粋

  • 3番 前田智徳 .317 27本塁打
  • 4番 江藤智 .282 34本塁打
  • 5番 ブラウン .276 27本塁打

2015年の打線と比べると強いですね。
投手陣の崩壊など理由はいろいろあったみたいですが・・・

野球は数字でやるものではないと改めて感じました。

1994年から三村敏之13代目監督に就任。
現役時代は2番ショートで初優勝に貢献し、広島カープ黄金期を作ったひとりでもあります。

最下位に沈んだ前シーズンからの立て直しを任され総合力で戦う野球を目指し、就任1年目でAクラスの3位に導いています。
投手陣の編成を変えたり若手を積極的に起用するなど、多くの策を講じて4年連続Aクラス入りと結果を残しました。

1998年に5位でシーズンを終え、ここから15年連続でBクラスと低迷期に突入してしまいます。

1999年から達川晃豊(光男)が14代目監督に就任。
ここ数年の不振は投手陣の崩壊とあって立て直すポイントは分かっていましたが、そう簡単には立て直せず・・
鬼のような練習も結果は出ず、達川の在任中は2年連続5位(球団は3年連続)に終わり監督を退任。

2001年から山本浩二が15代目(2期目)監督に就任。
2005年まで指揮しますが低迷しきったチームを立て直すことが出来ずに退任しています。

2006年からマーティ・ブラウンが16代目監督に就任。
ベースを投げたり、内野手を増やす守備体系など話題性はありました。退場の回数も多かったですね。

成績は振るっていませんが4年間チームを指揮しています。

2010年から野村謙二郎が17代目監督に就任。

Aクラス入りではなく優勝を目指すと意気込みましたが、ご存ぞの通り在任中の優勝は達成できませんでした。
主力に育った選手はFAで他球団に移籍していて、打線を固定することができないなど迷走している感じはありましたね。

選手起用や采配など批判する人もいましたが2013年には16年ぶりとなるAクラス入りし、初のクライマックスシリーズ進出となりました。
他球団の失速にも助けられましたが広島の街が久々に盛り上がったシーズンになっています!

2014年に2年連続3位となりましたが辞任を申し出て球団も承諾したため、2014年限りで監督を退任しました。

2015年から緒方孝市が18代目監督に就任。

若手の積極起用や果敢な走塁など緒方色を出しますが、それが裏目に出た試合もありました。
前半戦は5位で折り返しますがシーズン終盤まで優勝争い圏内に位置するなど優勝を期待したファンも多かったと思います。
優勝候補の期待感からクライマックスにも進出できないショックは大きかったですね。

2015年の失意から一転。2016年は歓喜の年となりました。そう、25年ぶりのリーグ優勝を成し遂げました。
一説には緒方監督と選手の信頼関係が増し、球団一体で優勝を目指せたことでが一番大きかったそうですね。日本シリーズは惜しくも負けてしまいましたが、このまま緒方政権が長く続くことになるかもしれません。

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