カープ歴代背番号14番!外木場や津田など大投手の継承番号!

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1950-1951 | 田所重蔵 | 内野 |
1952‐1956 | 太田垣喜夫 | 投手 |
1957‐1958 | 山田清志 | 投手 |
1959‐1964 | 弘瀬昌彦 | 投手 |
1965‐1979 | 外木場義郎 | 投手 |
1980‐1984 | 片岡光宏 | 投(外) |
1985‐1991 | 津田恒実 | 投手 |
1992 | 空き番 | |
1993‐1996 | 鈴木健 | 投手 |
1997‐2005 | 澤崎俊和 | 投手 |
2006‐2007 | 梅原伸亮 | 投手 |
2008‐2013 | 篠田純平 | 投手 |
2014‐現在 | 大瀬良大地 | 投手 |
小言 | ||
背番号14は外木場や津田など大投手も背負ってきた番号ですね。18番に次ぐエースナンバーと考える人も多いですが、津田選手のイメージから抑えの番号としてもカープでは定着していますね。
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カープ背番号14番の歴史
カープ初代背番号14番は1950年のカープ創設時に入団した田所重蔵です。
カープで2年間プレーした内野手で打率は2割少しくらいでした。
田所重蔵が移籍し52年から新人の太田垣喜夫が背番号14番を継承しています。
新人ながら開幕投手を任され見事勝利を挙げています。18歳5ヶ月での開幕戦勝利はプロ野球最年少記録です!
長谷川良平と共にエースとしてカープ創設時の弱小時代を支えました。
太田垣喜夫が57年から背番号を16番に変更したため57年から2年間、山田清志が継承。
そのあと59年からアンダースローの使い手だった弘瀬昌彦が継承しています。
弘瀬昌彦は大阪タイガース(現阪神タイガース)でプロキャリアをスタートさせましたが体調不良で現役を退いていました。
その後に復帰したのがカープで、復帰と共にアンダースローを身に着け、オールスターに出場するなど復活をとげた選手です。
65年に阪急ブレーブス(現オリックス・バファローズ)に移籍し同年入団の新人、外木場義郎が継承しています。
外木場義郎はプロ入りから引退までの15年間14番を背負い続けました。
プロ初勝利がノーヒットノーランで後に2度もノーヒットノーランを達成し(うち1回は完全試合)通算3回のノーヒットノーランは史上2人だけです(もう一人は沢村栄治)
先発の柱として長く活躍した外木場義郎は75年の初優勝にも大きく貢献しています。
20勝で最多勝を獲得した他、最多奪三振や沢村賞も獲得。防御率2.95。
1979年、初の日本一を最後に引退しています。
ドラ1で入団してきた片岡光宏が外木場から継承。
片岡光宏は期待の新人大型ピッチャーでしたがケガの影響もあり活躍できずに野手に転向。その際に背番号も44番に変更しています。
片岡光宏の野手転向で背番号を受け継いだのが炎のストッパー津田恒実です。
新人の頃は先発でしたが、14番継承の翌年から抑えに転向しカープを象徴するクローザーへと成長しています。
1991年に脳腫瘍が発覚し同年の11月に正式に引退。
1993年の7月に32歳の若さで亡くなっています。
1992年は14番は空き番で、93年にドラ3で入団した鈴木健が継承。
鈴木健の横浜ベイスターズ移籍で97年に入団した澤崎俊和がそのあとに受け継いでいます。
澤崎俊和は黒田博樹と同期入団でしたが澤崎がドラ1で黒田がドラ2でした。
入団1年目で12勝を挙げ新人王に輝いています。
ストッパー転向やケガなどにより新人の12勝が最高成績で2005年に現役引退。
2006年に入団した梅原伸亮に受け継がれ津田恒実のような選手になりたいと目標を語りましたがケガに泣かされ僅か2年で戦力外通告を受け引退。
その後、ドラ1で入団した篠田純平が14番を継承しましたが、1軍2軍を行き来することが多く、また、左の先発の一角として期待されましたが結果はそれほど残していません。
2010年にキャリア最高の6勝を挙げ、登板数も34を記録していますが防御率4.47でした。
そして、1軍での登板も減り2014年に入団した大瀬良大地に14番を明け渡しています。
2014年に新人で14番を継承した大瀬良大地は1年目から先発ローテーション入りし10勝を挙げ新人王に輝きました。
2015年途中にチーム事情もありセットアッパーに転向し活躍しています。
背番号14番でストレートを主体に攻めるピッチングに津田恒実と例えるなど話題になりました。
大瀬良大地の活躍からして、長く14番を背負ってくれそうです!
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