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広島カープ歴代背番号4番!水谷や正田が背負った継承の歴史

[公開日]2016/06/10
カープ歴代絵番号4番
年代
名前
守備
1950 山口政信 外野
1951-1952 空き番  
1953 菊池博仁 投手
1954 杉浦竜太郎 投手
1955 三村勇夫 三塁
1956 小野拓 内野
1957 藤村隆男 投手
1958-1965 小坂佳隆 二塁
1966-1969 佐野真樹夫 三塁
1970 朝井茂治 三塁
1971-1982 水谷実雄 外・一
1983-1984 アイルランド 二塁
1985-1998 正田耕三 二塁
1999-2002 兵動秀治 二塁
2003-2004 シーツ 遊撃
2005-2009 尾形佳紀 内・外
2010‐ 小窪哲也 三塁

歴代背番号4番の歴史と継承

カープ初代背番号4番はカープ創設1年目の1950年に「山口政信」(やまぐち まさのぶ)が背負っている。元タイガースのスター選手で全盛期には走行守で華麗なプレーを披露しファンを沸かせた。カープではベテラン選手として主に3番センターでチームを支え、晩年を迎えていたが貴重な戦力であった。カープ2年目で背番号を12番に変更し、同年現役を引退している。

山口政信の背番号変更にともない、1951-1952年は空き番。

1953年から「菊池博仁」が背番号4をつけるが、活躍することなく同年に退団。

1954年から「杉浦竜太郎」(すぎうら りゅうたろう)が背番号を継承。1951年に社会人から入団し、エースの長谷川良平が中耳炎のため、代わりに開幕投手を務めた。新人選手の開幕投手も異例だったが、リーグ初の新人開幕完投勝利を成し遂げている。1年目6勝。2年目9勝と数字では目立っていないが、球団創成期に長谷川良平に次ぐ勝ち頭として多くの試合に登板。しかし、3年目以降成績は急落し、背番号4番を背負った1954年シーズン後、大洋ホエールズ に移籍。

1955年から「三村勇夫」(みむら いさお)が背番号9から4に変更。カープ入団前の松竹ロビンス(消滅球団)時代は強力打線の2番としてリーグ優勝に貢献してきた。カープでは1年目こそ打率.256、本塁打11本で貴重な戦力となったが2、3年目は全く結果を残せなかった。打率.186と沈んだ1955年に現役を引退している。

1956年は「小野拓」(おの ひろし) が背番号4をつけるが出場することなく同年引退。

1957年。巨人キラーとして名をはせた「藤村隆男」(ふじむら たかお)がタイガースからカープに入団し背番号4を背負った。タイガース時代の全盛期にはシーズン25勝を挙げ、球宴に3回出場している名選手。2年連続20勝以上する活躍をしてきたが、キャリアの晩年とあってカープでは1勝に終わった。入団1年で現役を引退。1959年からカープ投手コーチを8年間務めた。

ここまで4番継承者は1年で退団していたが、7代目となる「小坂佳隆」(こさか よしたか)が1958-1965の8年間、背番号を背負い続けた。小坂は法政大学時代から強肩俊足の二塁手として活躍し、カープ入団後も1年目からレギュラーを掴んいる。打撃より守備の人ベストナイン1回、球宴に2回出場している。

1966年にドラ1で入団した「佐野真樹夫」(さの まきお)が背番号4を継承。専修大学時代には主将として春秋リーグ戦、選手権で優勝している。カープ入団後はケガの影響もあり、4年間で通算打率割2割を切っていた。プロでの活躍も無くプロ4年目で現役を引退している。

1970年に「朝井茂治」が背番号15から4に変更。カープ在籍期間は3年間。1、2年目は100試合以上出場していたものの成績が振るわず、3年目の1970年に引退。

1971年から「水谷実雄」(みずたに じつお)が背番号を継承した。4番を背負ってからレギュラーを確保し、75年の初優勝を決めた試合のウイニングボールを掴んだことは有名な話。その後もカープ黄金期の主戦として活躍。1979年、1980年の二年連続日本一にも大きく貢献し、79年の日本シリーズでは優秀選手賞に選出。80年の日本シリーズでも第6戦で満塁弾を放ち、逆転日本一に貢献している。1982年に阪急ブレーブスの加藤英司とトレードされ退団。

1983年から助っ人外国人の「ティム・アイルランド」(Tim Ireland)が4番を背負う。二塁のレギュラーとして主に7番打者を任されている。打撃成績をそこそこ残し、隠し玉を数回決めている。1984年シーズン終盤、ケガで離脱し日本シリーズには出場していない。同年退団。

1985年からドラ2で入団した「正田耕三」(しょうだ こうぞう)に背番号が継承された。カープ歴代最高の二塁手と、今でも支持は高い。打撃では2年連続首位打者を獲得。走塁では1試合6盗塁の記録を持ち、盗塁王も1回獲得している。ゴールデングラブを5度獲得する守備の名手で、ベストナインにも2回選ばれている。1998年。若手選手に出番を譲るため自ら球団に引退を申し入れ、同年引退。

1999年。正田が引退し、その後継者として期待された「兵動秀治」(ひょうどう ひではる)が背番号4を継承。背番号を受け継いだ勝負の年にケガで出遅れてしまうと、東出輝裕とのレギュラー争いに敗れた。その後も伸び悩み2003年から背番号が58となり、同年退団。

2003年に守備名手という振れこみで入団した「アンディ・シーツ」(Andy Sheets)が背番号4を背負うことに。守備で期待通りとはいかなかったが、その分打撃で貢献。シーズ途中から4番打者も任された。2004年も打撃でチームに貢献したが、球団側と契約で折り合いがつかず、同年限りで退団。その後タイガースに入団している。

シーツの退団で2年目の「尾形佳紀」(おがた よしのり)が背番号を継承。2005年の開幕ショートの座を掴み、開幕から好調を維持し打率も3割を超えていた。そんな矢先。古傷でもある右ひざの前十字靭帯を断裂しシーズンを終えた。その後はケガと闘い、1軍で勝負を決めるバッティングも披露したが、2009年に戦力外通告を受け退団。

2010年に「小窪哲也」(こくぼ てつや)が背番号12から4に変更。入団時は遊撃手または二塁手だったが、シーズンごとに手薄なポジションを任され、ユーティリティプレイヤーとしての役割を担うことが多い。打撃では本塁打は少なく、センター返しを中心としたバッティングスタイル。2014、2015年は代打の切り札として多くの試合を決めている。

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