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広島カープ歴代背番号5番!外国人選手も多く背負った伝統の番号!

[公開日]2016/01/18
[更新日]2016/06/06
歴代背番号5番
年代
名前
守備
1950 田中成豪 内野
1951 井上嘉弘 外野
1952 斎藤宗美 投手
1953 木村勉 外野
1954 宮崎仁郎 内野
1955‐1969 藤井弘 内野
1970‐1974 国貞泰汎 内野
1975‐1976 シェーン 外野
1977‐1979 ギャレット 外野
1980 デュプリー 外野
1981‐1982 ガードナー 外野
1983‐1987 定岡徹久 外野
1988 ジョンソン 内野
1989 高代延博 内野
1990 水上善雄 内野
1991 バークレオ 外野
1992‐2004 町田公二郎 外野
2005 空き番
2006‐2015 栗原健太 内野
2016‐ ルナ 内野
小言
栗原選手のイメージから内野手のイメージがある背番号5番。外国人助っ人に継承されることも多く一時期は外国人が連続して背負っていました。

カープ背番号5の歴史と継承

初代背番号5を背負ったのはカープ創設1年目の1950年に大陽ロビンス(消滅球団)から移籍してきた『田中成豪』です。
主に下位打線を打ち、三塁手としてプレーしました。

田中成豪がカープ在籍1年で引退し背番号を受け継いだのが1951年に松竹ロビンス(消滅球団)から移籍してきた『井上嘉弘』です。
ジャイアンツなど複数球団に在籍していましたが実績は残していません。

井上嘉弘も在籍1年で引退し1952年から15番を付けていた『斎藤宗美』が背番号を5番に変更。
1軍出場記録は残っていません。

1952年に斎藤宗美が引退。1953年から『木村勉』が5番を継承。
大洋ホエールズ(現ベイスターズ)から移籍してきてカープ在籍は1年ですが、長く日本野球界でプレーしています。
また、日本野球界で初めて初回先頭打者ランニングホームランを記録した選手でもあります。

木村勉も1年で近鉄パールスに移籍し退団。1953年から『宮崎仁郎』が5番を背負います。
宮崎仁郎は1954年に洋松ロビンスから移籍してきて1年で引退。カープでは活躍できませんでしたが、社会人や他球団でプレーし優勝も経験している選手でした。

ここまで5人の選手が継承してきましたが、いずれも1年で退団しています。創設期に晩年を迎えた選手を集めた結果かもしれませんが入れ替えが頻繁に行われていました。

しかし、1955年から5番を継承した『藤井弘』はカープ一筋15年間現役を続け、引退まで5番をつけていました。
藤井弘は広島県福山市出身で社会人野球を経てカープに入団。中軸打者としてカープを支えています。
通算打率は.238と低いですがシーズン本塁打20本を放つ貴重な存在でした。また、長嶋茂雄の一塁ベース踏み忘れでの本塁打取り消しアウトの際に1塁を守っていた選手としても有名です。

藤井弘が1969年で現役を引退し1970年から4年間『国貞泰汎』が5番を背負います。
古葉竹識との交換トレードで入団し巧打者として活躍。中でも流し打ちは一級品だったそうです。
現役引退後は解説者や飲食店経営をする一方、広島の少年野球『ガッツ高陽』の指導者もこなしています。

カープが初優勝した1975年に初めて助っ人外国人『シェーン』が5番を背負いました。
1年目の75年には6番ライトで.281、13本、56打点と優勝に貢献。2年目は打率3割を超えましたが同年に引退しています。

シェーンが5番を背負い活躍したこともあって『5』は外国人に継承されることも多くなります。

1977‐1979には外国人選手としてホームランを量産した『ギャレット』が継承し、在籍3年間で102本ものホームランを放ちました。
79年には優勝にも貢献し最高の助っ人として覚えている人も多いと思います。

1980年は『デュプリー』が継承し打撃より守備でリーグ優勝に貢献しました。

4人連続となる助っ人への継承は1981から『ガードナー』に引き継がれます。
入団1年目に26本塁打と量産しますが2年目に不振に陥り退団。

1983年から『定岡徹久』が継承。中軸を打てる選手として期待されたものの結果を残せず日ハムへ移籍しました。
元巨人の定岡正二の弟で引退後はタレントとしても活動しています。

1987年に入団した『ジョンソン』が1年目に打率3割を超える活躍をし、翌1988年から5番を背負いますがケガの影響で成績を残せずシーズン途中で退団します。

1989年はトレードで入団した『高代延博』が5番を背負います。
高代延博は日ハムにドラ1で入団しショートのレギュラーとして活躍した選手で、ゴールデングラブやベストナインにも選ばれ1981年日ハムのリーグ優勝にも貢献しています。
晩年にカープに入団しますが24試合の出場にとどまり1年で引退しました。引退後はカープを含め多くの球団でコーチとして活躍。WBCのコーチを務めるなど最高の3塁コーチャーとしても有名です。
2016年から金本監督の阪神に入閣しています。

1990年は『水上善雄』が継承。ロッテから移籍してきてカープ在籍1年で結果は残せていません。
ロッテ時代には打率3割を超えるなど長く活躍。守備での貢献もありゴールデングラブも獲得しています。

1991は西武を退団した『バークレオ』がカープの5番を背負います。
カープファンより西部ファンの方が覚えている選手だと思いますがカープにも1年間在籍していました。
西武時代の2年目にシーズン38本塁打90打点の活躍で日本一に貢献。当時の強力西武打線の一角を担いました。
カープでは成績を残せず1年で退団しています。

1992年から1991年ドラ1でカープに入団した『町田公二郎』が退団までの13年間5番を背負いました。
町田公二郎は内外野含め多くのポジションをこなし代打の切り札としても長く活躍しました。外野手登録選手でしたが当時の外野陣は緒方、前田、金本で固められレギュラー定着は難しい状態でした。外野手の次に多くついた守備位置は1塁で、人によっては1塁手のイメージが強い人もいるかもしれませんね。
打撃では4番を任されることもあったパワーと代打本塁打通算20本の記録を持つ勝負強い打撃が持ち味でした。

2004年オフに金銭トレードで阪神に移籍した町田から背番号5番を継承したのは『栗原健太』です。
2006年に背番号50から変更し10年間5番を背負い右の長距離砲として活躍しました。カープ入団時は江藤2世として期待され背番号を変更した2006年から4年連続で20本塁打を超える活躍。中でも2008年は打率.332、23本塁打、103打点と大活躍でした。
その後はケガの影響で出場機会も減り、2015年オフに出場機会を求めて自ら自由契約を希望し退団しました。

栗原が退団し空き番となった背番号5は若手に受け継がれるかと思いましたが2016年中日から移籍してきた『ルナ』が継承することになりました。
ルナは中日での実績も十分で広角に打ち分けるバッティングで好成績を残しています。また成績だけでなく野球に関しての総合力も高く、中日時代には外国人選手のまとめ役も務めチームメイトからの信頼も厚かったそうです。他にも2015年にトリプルスリーを達成した山田哲人をブレイク前から注目していて日本を代表するバッターになると見抜いていたとか!
カープでの活躍も期待されていますが、様々な面での貢献も期待されています。

そして次の継承者へ…

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