長谷川良平!小さな大投手と呼ばれた広島カープの初代エース!

長谷川良平!小さな大投手と呼ばれた広島カープの初代エース!

長谷川良平

広島カープ初代エースピッチャーとして球団創設時からカープを支えた長谷川良平。
カープに入団する前はノンプロで活動していましたが、カープ発足時の入団テストで監督の石本秀一に才能を見抜かれ入団することにまります。

『小さな大投手』

この異名を聞いたことがあるでしょうか?

長谷川良平が身長167㎝と小柄な体格で活躍する姿からそう呼ばれていました。

広島カープの歴史を語る上で欠かせない人物なので紹介したいと思います!

小さな大投手『長谷川良平』

長谷川良平
プロフィール
出身地 愛知県半田市
生年月日 1930年3月25日
身長・体重 167cm・56kg
投打 右投右打
ポジション 投手(サイド)
長谷川良平 変化球
背番号 32番(1950)
18番(1951‐1963)
カープ入団 1950年トライアウト
出身高校 旧制愛知県半田商工学校
在籍球団 広島東洋カープ(1950‐1963)
主なタイトル・記録・表彰
  • 最多勝(1955)
  • 野球殿堂入り(2001年)

繰り返しになりますが、広島カープ創設時に別格の活躍をした選手です!
プロ入り1年目(1950年)に15勝(27敗)挙げ、その後も8年連続で2桁勝利を挙げています。

右投げのサイドスローでシュートの切れ味は抜群でした。
球種によって投球の腕の位置を変え、多彩な変化球を操っていたみたいです。
現代の野球では考えられないですね!

1955年には勝利数30で最多勝のタイトルを獲得!
完投数32、防御率も1.69と活躍しています。
この年のカープの成績は4位でチームの勝利数は58勝でした、チームの勝利数から考えると長谷川良平の30勝がカープを支えていたことがよくわかります。

1955年シーズンだけでなく、球団創設8年間のチーム勝利数の4割以上を長谷川ひとりで稼いでいたので、まさにエースと呼ばれるにふさわしい活躍をしていました!

広島カープ在籍14年で197勝(208敗)
もっと強いチームに在籍していれば300勝していたと言われています。
しかし、カープに入団し初代監督の石本秀一の熱心な指導があったからこそ『小さな大投手』と呼ばれるまでになったのだと思います。

200勝に届かず1963年に引退してしまいましたが、その功績はカープの歴史にしっかりと刻まれていますね。

長谷川良平の引退後

引退後の1964年はカープの1軍投手コーチを務め、65年途中から監督に就任し67年まで指揮をとりました。
監督を務めた3年間は思うような成績を残せませんでしたが、当時新人だった安仁屋宗八(あにや そうはち)や外木場 義郎(そとこば よしろう)を指導し、後に一流投手に成長していきました。

その後は出身地の球団、中日ドラゴンズの投手コーチなどを務め、若手の星野仙一らを指導しています。

再び広島に戻り、数年で球団を辞め、解説者や評論家として活動していました。

2001年に野球殿堂入りし、

2006年に肺炎で亡くなりました。(享年76歳)

最後に

球団創設時からカープを支え、若手を育成して広島黄金期の基盤を作ったと言ってもいい人物ですね。
カープの創設時はチームは弱かったですが、偉大な人物がたくさんいます。

これからも紹介していくので、たまに当ブログを覗いてみてみてください。

最後まで読んで頂き有難うございました。